TOPページへ 気まぐれ日刊情報 村上宏治の東方見聞録
愛犬ジャジャの躾け

室町期、
ここ尾道は繁栄の真っ只中にありました。
日本の中世の流通を語るにはずせない尾道は、
北前船の重要寄港地でした。
国内有数の豪商の町でもあった尾道は、
当時から多くの文人墨客を集め、
国内における文化的向上の大きな役割を果たしました。
足利尊氏は室町幕府を成立するに当たり
尾道は浄土寺で祈願し達成した。
その遥か以前にはすでに大田荘園の
重要な港として認識されていました。

当然そこには、
それを立証するが如くに多くの寺が存在し、
中央の政治と常に密着したと文献から読み取れます。
その文化度の高さは多くの史実を残した。

またお茶人も多く、
お茶とともに和菓子文化も確立していった。
和菓子を語るは文化を語るに他ならない。
江戸中期、
茶の湯と和菓子は男の教養と嗜みだったのです。

御菓子司中屋の鯨羊羹
【御菓子司中屋の鯨羊羹(くじらようかん)】

『江戸名物誌』にこんな逸話がある。
幕府の役人は昇進や栄転を迎えると一席を設け、 江戸で評判の『鈴木越後』の羊羹を用意した。
ある役人は安く上げようと別の店の羊羹を用意したが、 味の指摘をされ大恥をかいたという。
和菓子文化は室町時代に完成され始めたと聞きました。
ポルトガル船が種子島に漂着したのを始まりに、
鉄砲 、キリスト教の伝来などともにカステラ、ビスカウト(ビスケット)、ボーロ、コンフェト(金平糖)、
アルヘイト(有平糖)などのお菓子が伝来しました。
これらのお菓子は原料や製法などの点で和菓子の製法に大きな変革をもたらしました。

また、南蛮人によってもたらされた白砂糖はそれまでの菓子の味を一変させ、
砂糖は製菓材料として重要な役割を担うこととなりました。
砂糖の製法が伝来し栽培が盛んになり、材料的にも技術的にもめざましい躍進を遂げました。  

これらの南蛮菓子は、長崎を中心にして日本国中に、
特にこの時期を境にして力を持ちだした町人階級に広がり、日本化されて今日に伝わっています。

[ページ上部へ]