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名を豊。尾道に生きた女流画家。
江戸後期、全国に名を馳せた。早くから父の教育で教養深い女性に育てられ、多くの文人墨客と交流を深め、尾道文化を荷う。
父五峯亡き後、生涯結婚することなく絵筆一本で、母と妹、鳳尾蕉軒を守る。
山陽との別れの後、玉蘊の心の支えとなったのは竹下ら友人の励ましと、福岡屋に代々伝わる古鏡だったのか・・・生涯山陽を忘れることはなく、玉蘊の位牌の裏には山陽から送られた「章(あや)」の名が刻まれた。 |
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江戸後期の儒学者、史家。通称久太郎。
竹原で玉蘊に出会った後、神辺の菅茶山のもとで廉塾の塾頭を勤めるが、後京都に出て『日本外史』を完成させる。尾道にも度々立ち寄り、竹下ら豪商や文人墨客と深い交流があった。
"山紫水明"という言葉は玉蘊との思い出の残る竹原や尾道の海の夕暮れを山陽が表現したものであり、生涯を終えた京の書斎を「山紫水明処」という。 |
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幕末の尾道の豪商。通称、灰屋吉兵衛。
菅茶山や頼山陽に学び、尾道の文化を荷う。田能村竹田らの多くの文人墨客が竹下の爽頼軒(そうらいけん)を訪れた。山陽のよき弟子、ライバルでもあった竹下は画家としての玉蘊を支え続ける。
天保の飢饉の折、民衆の救済事業として行った慈観寺本堂の再建で尾道より一人の死者も出さなかった功績は、今尚語り継がれている。 |
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竹下の竹馬の友。
身分は違うが、幼い頃より兄弟のように過ごす。
若くして橋本家の養子となった竹下の話し相手として、三原の頼兼(頼家発祥の地)より橋本家に丁稚に入る。
影日なたとなり、晩年まで竹下に寄り添う。 |
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玉蘊の妹。
姉と同じく絵を習った。 竹原の山陽との出会いの時、姉妹は「連なりてほころび初めし辛夷(こぶし・木筆花)の花」と花に喩えられる程、二人の容姿には大変に華があったといわれる。
後に、平田家の養子に入った玉葆の息子が、画家「平田玉圃」である。 |
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山陽の叔父で儒者。
兼ねてよりその才能を応援していたが、父を亡くし庇護者を失った姉妹を励まそうと、山陽の父春水らと共に玉蘊姉妹を頼家の法事に招く。
そこで、甥・山陽と、玉蘊が出会う事となるのであるが・・・ |
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子供の頃より春風に学び、頼家の人々とも親しく過ごす。
年の近い山陽とは気の置けない間柄。
竹原の舟遊びに同船する。 |
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木綿問屋福岡屋を営む豪商で玉蘊姉妹の父。
芸事に秀で、能楽や絵を得意とした。幼少、五峯の舞姿は神が宿ったようだと称された。娘共々、菅茶山や頼家の人々と交流を持った。
早くに亡くなった父・五峯はどんな思いで玉蘊姉妹に絵を習わせたのであろうか・・・ |
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玉蘊姉妹の母。
芸事の為に家を傾かせてしまった身内がいたため、五峯が娘に芸事を習わせることに反対し、家業に専念するよう懇願する。
玉蘊と山陽の恋の行方を心配する心優しい女性。
夫亡き後は、絵筆一本で家を守る玉蘊と生涯を鳳尾蕉軒で暮らす。 |
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江戸後期の文人画家。
画や経学、詩文に長ずる。
天保五年二月、尾道に立ち寄り数ヶ月滞在し、八月一日に竹下らと千光寺山に登り、花瓶に挿して楽しんだ花々の残花を、玉の岩の陰に葬り、酒を注いで詩を作り、石に刻んで「エイ紅の碑」と名付ける。 |
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数々の舞台経験を生かし、大道具・小道具のデリケートな指導をする。
自らも役者として舞台に立ち、魅力的な声は多くの人が酔いしれる。 |
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| ◆公演日時 |
平成17年11月26日(土)
会場16:00 開演16:30
平成17年11月27日(日)
会場18:00 開演18:30 |
| ◆会場 |
| JR尾道駅前(しまなみ交流館)テアトロシェルネ |
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1・2階席
2,500円(当日券2,800円)
3階席
1,500円(当日券1,800円)
学生(全席共通)
800円(当日券1,000円)
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| ◆チケット取り扱い |
尾道市観光文化課
TEL:0848-25-7366
テアトロシェルネ1F
観光コーナー
TEL:0848-25-4078
NPO法人
尾道てごう座事務所
TEL:0848-46-3552 |
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