2004年10月号
紳士の美学、淑女の美学。
谷崎潤一郎が嶋中に問われた。
君が古典を訳するとしたら。

谷崎は躊躇なく答えた。
「自分が仮に訳するとしたら、源氏を措いてほかにない。」

それから6年の歳月の中で、谷崎は現代語訳に専念した。
何度も何度も書き見直しと 訂正ををし、
面目を一新するまでに至った。
昭和10年から6年の時間を要した。

谷崎が気を使い、
最後まで固執したものは、何だったのかと言うと、
日本語の文字の奥にあるもの、
それは歌占の力だった。
日本語の持つ美学に他ならない。

その美学への探訪を支えたのは、
香の香り、香道と聞いた。
薄く漂うその香りは式部が描く
源氏物語の文字世界へいざなった。
蝋燭の炎に力を得た香たちは、谷崎の五感を刺激した。

写真家 村上宏治
今一度、日本語の持つ、文字の美学を炎の力で姿を変えた香りと共に、
秋の夜長に身を浸すのも一案では。

晩年彼は言う。
「私にして若し余生があれば、心行くまで修正し、ほんとうに完璧な物として世に送り出したい。」
そのとき彼の枕元には、揺らぐ蝋燭の炎に、源氏香が漂っていたと聞いた。

谷崎が訳し綴った源氏物語。
それは日本の美学そのものだった。
トップページに戻る
Copyright(C) 2004 ERM・村上宏治 All rights reserved.