浄土寺の縁起
 
 





 
 
 浄土寺の縁起
 

関ヶ原の決戦の結果、全国は江戸幕府の支配の下、芸備の地は福島領となって寺領の全部が没収されました。つづいて浅野領となって、多少息つくことが出来ましたが浄土寺は今までとは異なって尾道在住の豪商の外護を受けるようになりました。
こうして今までの支配者(将軍・大名)階級依存の寺院から一般民衆の信仰中心の寺院に変貌するに至ったのです。
即ち「宝永」の多宝塔、「貞享」の開山堂、「元禄」の方丈、「正徳」の金堂・阿弥陀堂 ・護摩堂 ・経堂、「享保」 の食堂などの修理 ・改築、「文化」の露滴庵の移築などはよくこのことを立証しています。

 この外に江戸時代に於いて重大な事件といえば「正保」の利生塔の炎上、「正徳」の奥の院満福寺(峯の薬師)の再建などがありますが、明治維新後―特に鎌倉時代の定証上人の功業に比肩すべき「昭和の大修理」―昭和四十三年から六ヶ年に亘る大工事を中心として「昭和十二年」の峯の薬師再興、「昭和十三年」の多宝塔の修理、「昭和三十四年」の防災施設の完備、「昭和三十七年」収蔵庫の竣工、「昭和四十三年」からの大修理と並んで宝物殿の建設とその防災施設の整備と内外の工事は着々と進んでいたとい、 「昭和四十九年」突如奥の院満福寺炎上という事件が起こりましたが、工程に些かの弛みも無く「昭和五十年」 には宏壮な研修道場が新築され「昭和五十九年」の秋には多くの信者の真心は凝って瑠璃峯頭に壮麓典雅な峯の薬師の新御堂が出現、更に「平成六年」には国宝浄土寺本堂を中心とする 境内全域の指定などを挙げることができます。

第二次世界大戦後、人心大いに更って澆季の世となったとは申せ、本尊十一面観世音菩薩の霊験は今も尚あらたかに、中国観音霊場第九番札所として信者の讃仰変わりなく、加うるに西日本に於ける文化財の宝庫として斯界に重きを成し、浄土寺観音奉讃会 ・浄土寺国宝重文護特会は結成され、毎月第三日曜日の万巻経讀誦会は春夏秋冬絶ゆることなく、回を重ねること茲に三十余年(平成十二年現在)本堂に溢れる信者の経文讀誦の声は大太鼓の力強い音と共に玉の浦に響きわたっております。

こうして、寺運益々隆昌の一路をたどっておりますことは、偏に本尊菩薩の功徳と十方信者外護の賜と日夜篤く法謝致しております。

  合 掌
 
 
 
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