尾道と頼山陽

上千光寺

上千光寺 通釈
山の山腹に鮮やかに建てられた千光寺。境内の林をすかして尾道の港が見える。波の光り、町家の屋根瓦の色、くっきりと眼に入り、読経の声が街の喧噪を圧してひとり清らかに聞こえる。飛鳥逝いて岸に影を止めず、舟過ぎて潮に一線の跡あり。大きな岩に我が名を彫りこんだが、またいずれの日にか再びこの地に来り得るだろうか。

山陽の活動は、地方の門人やパトロンによって支えられており、芸備には門人が多く、後に福山藩に登用された門田朴斎、江木鰐水、関藤藤陰や、尾道の橋本竹下、宮原節庵、平田玉蘊らがいる。
 尾道は、山陽道の宿場町、瀬戸内海航路の港町として繁栄し、備後地方の商業の中心地であった。近世後期には、経済的な実力を蓄えた商人のなかで、文芸への関心が高まり、それを反映して、多くの文人墨客が立ち寄っている。彼らは、商人たちの求めに応じて、多くの書や絵画を製作し、潤筆料を受け取っている。山陽に限らず、この時代に学者や文人が職業として成り立つようになった経済的背景には、尾道のような地方の豪商や豪農の存在があったのである。


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