私は暗夜行路の流れる景色のような文章が好きだ。
ぜひロッジで、浜で、石段で、読んで下さい。

暗夜行路

 彼はあんまから、西国寺、千光寺、浄土寺、それから、講談本にある拳骨物外の寺、近い所では鞆の津の仙酔島、阿武兎の観音、四国では道後の湯、讃岐の金刀比羅、高松、屋島、浄瑠璃にある志度寺などの話を聞いた。彼は東京からの夜着その他の荷の着くまで一週間ほど、どこか旅してもいいと考えた。
 あんまは話に気をとられると、だんだん弱くなった。
 「もう少し強くやってくれないか」
 あんまは急に強くしだした。ちょうど水車の杵が米をつくように肩の上でぐりぐりと乱暴にひじで肉をつきおろした。
 「なんという流儀だね?」
 「長崎の緒方流と申しやんすけん」
 彼は前日新橋で別れて来たハイカラな緒方と、この薄ぎたないあんまの緒方流とで、なんという事なし、一人微笑した。
 海のほうで、ピョロピョロッと美しい鳴き声だか音だかがしている。ちょうど芝居で使う千鳥の鳴き声だ。もう人々の寝静まった夜更け、黙ってこれを聞いているとなんとなく、さびしいような快い旅情が起こって来た。
 「あれはなんだい?」
 「あの音かえな。ありゃあ、船の万力(せみ)ですが」
 あくる日十時ごろ、彼は千光寺という山の上の寺へ行くつもりで宿を出た。その寺は市の中心にあって、一目で全市が見渡せるというので、そこからだいたいの住むべき位置を決めようと彼は思った。
志賀直哉
尾道遊郭にて

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