メッセージ
Fortepiano Yamamoto Collection

 絵画も、音楽も、それが本当に良いものであるならば、理屈なく楽しむことができ るといえるでしょう。でも、誰にでもと言うことは難しいかもしれません。好みとい う問題が入ってくるからです。私達は、自分にぴったりくる作品、作家を見つけ出し て、それを物差にして他のものにあてがって判断し、気に入らないものを切って捨て るということをしがちではないでしょうか。

 ピアノという楽器は、音量、音色のコントロールが多彩に出来ます。現代のピアノ で、そういう手段を可能な限り身につけようとあせっていた若い頃、チェンバロに出 会って、音量、音色のコントロールの殆ど効かないところで、全く違う考え方をしな ければどうにもならないことを思い知らされた時に、私は、知識としてではなく、体 で物差というものを決してひとつではないということを実感したのだと思います。当 然のことながら、それ以降、バッハを中心として、チェンバロが前提となる音楽は、 むしろその制約をヒントにして、少しずつ本来の姿を見せはじめてくれるようになり ました。ただ、タイムマシーンにでも乗らない限り、今から3世紀も前の音楽の姿を 完全にとらえることなど出来るものえはありません。しかし文献を読むことや、当時 の楽器に触れることで、その時代の音楽をするのに必要な物差の精度をわずかずつで も上げていく作業には、謎解きの面白さがあって、ひきこまれてしまいます。

 バロック・ブームにはじまった、様式への興味は、だんだんと時代をくだりはじ め、ウィーン古典派のハイドン、モーツァルトの頃の楽器による演奏によって、又一 つの時代の響きのイメージが甦って、私達は新しい物差を手に入れました。最近で は、この傾向は更に音楽史をくだって19世紀の終わり頃迄とどいたようです。その ことによって、それぞれの音楽が、丁度、洗われ、修復された絵画のようにとまでは いかなくても、本来の姿に何歩か近付いて、先入観で間違った物差をあてるようなこ とがなければ、私達を楽しませ、精神を豊かにしてくれるといえるでしょう。

 それぞれの時代の楽器が、このために果たした役割は、想像以上に大きいのです。 モーツァルトの頃のピアノの粒立ちのはっきりした、天国的な音は、どんなに研究書 を読んでもわからない、その時代の作曲家達の音の世界をひらいてみせてくれます し、音域も増え表現の幅もひろがったベートーヴェン、シューベルトの頃のピアノを 弾くと、現代のピアノを弾いたのではあまり勉強意欲をそそられることのない、フン メル、クレメンティ等の音楽も、新鮮な魅力で私達をさそうのです。

 これらのピアノは発達して来たと言うことは出来ると思いますが、改良に改良を加 えて現代の完成をみたと言うのは間違っているのでしょう。私達の段階で失われたも のもあるわけです。それぞれの段階で完成されていたようでもあり、全体としてみる と発達もしているというユニークな楽器、それがピアノです。それを目にし、耳に し、実感出来るこの企画は、とても貴重だと思います。

(こばやしみちお 東京芸術大学音楽学部客員教授)