ピアノと私
Fortepiano Yamamoto Collection

 私は、父のピアノの調律の仕事を継ぐ決心を中学生の頃から固め、高校を卒業する と同時に浜松のピアノメーカーで製作に携わりました。そこでは、鉄工以外のすべて の工程の技術を学びました。その後さらに、ピアノの修理に進み、生まれ故郷堺で独 立しました。そして、本場ヨーロッパの音作りを身につけようと、15年ほど前、ウ ィーンにあるベーゼンドルファー社に留学しました。その時、初めて新王宮にあるオ ーストリア国立ウィーン芸術史博物館の歴史的鍵盤楽器のコレクションの存在を知り ました。朝6時からの仕事は午後4時には終わり、その後私は博物館に足繁く通いま した。そこで、目に映るピアノは、今までに見たことのないすばらしいものばかり で、結局この後この博物館に展示されているすべてのピアノを見るために、ウィーン に改めて出向くことになりました。

 一日一台を丹念に見て、ピアノの細部まで脳裏に焼き付けるということに時間を費 やし、3ヶ月も滞在することになりました。その間、ピアノに関する質問を監視の人 に投げかけたりしているうちに、とうとう彼の手に負えなくなり、博物館の専門の修 復家を紹介するから直接尋ねてくれということになったのです。新王宮の博物館に は、修復の工房まであり、思いがけず専門家を紹介してもらえることになったもので すから、訪ねる日までの1週間、自己紹介ができるよう必死にドイツ語を勉強しまし た。そして、主任修復師アルフォンス・フーバー氏との運命の出会いの日が訪れたの です。その後、私は工房に見学者として出入りを許されたのですが、訪れているうち に重宝がられ、修復を手伝うようにまでなってしまいました。翌年からは、国の許可 を得た修復師として、毎年修復作業に携わることとなりました。

 1989年から2年がかりで、わたしが修復した1785年製のヴァルターのフォ ルテピアノを使って、1991年に、王宮の一室でモーツァルト没後200年祭のコ ンサートが開かれました。なんとすばらしい音なのだろう!今まで耳慣れた現代のピ アノで聞いていたモーツァルトはなんだったんだろうとカルチャーショックを受けま した。そして、このすばらしい音を日本にもなんとか紹介したいと考えたのです。そ の後、毎年定期的に博物館の楽器の修復作業に携わるために、渡欧するたび困難は 多々ありましたが、博物館の上司の紹介などを得られ、いろいろな時代のオリジナル のフォルテピアノを数台ずつ日本に持ち帰るチャンスを掴みました。これが今日のフ ォルテピアノヤマモトコレクションの始まりです。これまでに、18世紀後半から2 0世紀初頭をカバーする約50台の歴史的ピアノのコレクションとなりました。

 ウィーン芸術史博物館通いは、これまで私に数々の幸運をもたらしてくれました。 なかでも1995年11月にクララとロベルト・シューマン所有のピアノで、後にブ ラームスのものとなったコンラート・グラーフのピアノの修復をどう進めるかという 会議に臨席を求められたことが、今年完成させたクリストーフォリピアノ製作に深く 関係することになりました。このコンラート・グラーフのピアノの修復に関しては、 ウィーン芸術史博物館だけの一存で修復を進めるわけにはいかないほど、重要なもの なので、ヨーロッパの主たる博物館代表がウィーンに招聘され、会議がもたれたので した。会議終了後、ここで偶然にもお会い出来たライプツィヒ大学の古楽器博物館館 長のDr.Eszter Fontana氏に私は1726年製のクリストーフォリピアノの採寸など の調査の希望を申し出、その場で快く引き受けてもらいました。またその後、ニュー ヨークメトロポリタン美術館の主任修復師のStewart Polens氏にライプツィヒ大学の クリストーフォリピアノ(1726年製)と比較研究のためにメトロポリタン美術館 にあるクリストーフォリピアノ(1720年製)の調査を願いでたところ、快い返事 を頂きました。その比較の結果、ライプツィヒ大学のクリストーフォリピアノ(17 26年製)は、ほとんどオリジナルの状態であることがわかりました。

 そのピアノの構造には、クリストーフォリ独自のアイデアが多く見られます。それ はまさに、天才としか言いようのないすばらしいものでした。私は是非この1726 年製のクリストーフォリピアノを復元したいという思いに駆られました。さっそく材 料の調達を始めましたが、響板に使われているサイプレス材の入手は困難を極めまし た。しかし、幸いなことにウィーン芸術史博物館の上司フーバー氏の秘蔵のサイプレ ス材を分けていただくことが出来ました。次の響板以外の材料としてイタリアポプラ 材と栗材が使われていますが、これも木材の燻煙熱処理乾燥の研究に携わっておられ る京都大学の木質科学研究所の野村隆哉先生が実験済みの理想的なイタリアポプラ材 と30年間自然乾燥された栗材を提供してくださったのでした。まさに、それは奇跡 と思えるほどの絶好のタイミングでした。すべての材料が揃い、1998年8月より 一気に製作を開始、1999年5月に完成しました。クリストーフォリの天才性を世 に紹介したく可能な限り忠実なるクリストーフォリピアノの再現に努力しました。私 にとって復元楽器の製作は、初めての体験でしたが、音色、音量、バランス、タッチ など満足のいく仕上がりとなりました。

 ヨーロッパの楽器はオルガンもそうですが、その時代の音楽に対する人間の要求に 応ずべく変化を見せておりますが、ピアノの変遷史に関しても、それはすなわち科学 工業の発展と呼応していると言える側面を強く持っています。私はオリジナルのフォ ルテピアノ修復の作業を進めるにあたっては、常にオリジナルの状態を蘇らせるよ う、最大の努力を払っています。というのも、18世紀から20世紀初頭に至るピア ノはそれぞれの製作家が理想の音を追求して一台一台の楽器の設計、材料に工夫を凝 らし、最先端の技術を駆使しています。その結果、製作家独自の音を持つ個性的なピ アノが生まれ、同じ製作家のピアノでも、、製作年が違えば、また少し変化があると いう具合です。

 それゆえ、修復を進めるにも製作家の意図したことが修復する際に歪められてしま わないようあくまでもオリジナルに忠実にということに最大の注意を払います。消耗 品の交換というのも、最小限にとどめる努力をします。というのも、たとえばハンマ ーに使われている鹿皮も当時のものと、現代のものとではなめし方が違うせいか(今 日では、化学薬品に多く頼っている)随分、質が違います。音質に直接関わりのある ものですので、当時のなめし方を研究したりもしましたが、今ではその当時のものを そのままというのは、皮そのものの質も変化してしまっているのか、入手するのは不 可能です。やむを得ず楽器としては、再生不可能ながらハンマーの皮は使えるという 古いピアノから皮だけを材料取りしたりします。

 ちなみに、当時の皮のなめし方を紹介しますと、細毛の鹿の皮を剥ぎ、これを4日 間水につけて柔らかくし、肉質の側に石灰と灰の混合物を塗り、この後水を入れた容 器に重ねて3週間漬けておく。その皮を取り出して羊毛をこすり落とし再び4週間石 灰水に漬ける。この後、ぬるま湯と小麦糠とで作られる脱灰液に浸し、3日間毎朝毎 夕充分に液が皮に浸透するよう絶えず動かさなければならない。脱灰された皮は、平 らに伸ばすことにより付着している糠を取り除き、槲の樹皮のタンニン液に入れられ る。そして毎日、朝昼晩とかき混ぜられ、5週間にわたり、1週間ごとにさらに新し いタンニン液を入れなければならない。6週間目には、また灰汁とオリーブ油の混合 物をタンニン液に添加し、皮をさらに1週間その中で浸した後、新鮮なミルクで皮を 洗浄し乾燥させる。(1837年のある記述から)実に今の時代からみれば、気の遠 くなる製造方法でした。

 材木に関しても経年変化が同じくらいの年代のピアノのものを使用します。弦に関 しても錆びていても磨けば使えるものは磨いて使いますが、欠損その他の事情でどう しても使えないものに限り、新しい弦をヨーロッパから取り寄せて交換します。ヨー ロッパには、今でも当時の弦の組成を研究し、手打ちの方法で作られた当時のままの 弦を現代においても製造して供給するメーカーが存在しています。ヤマモトコレクシ ョンのピアノのほとんどのものの塗装はシェラックが使われています。これも、木目 の美しさを生かし、また音の響きにも大きく影響を与える可能性を持つからです。そ れらがすべて、手で行う手間の掛かる方法です。今でもアンチークな家具の中でも超 高級品に施されている場合がありますが、仕上げるまでに何ヶ月もかかります。当時 のままの姿を取り戻し、なおかつ演奏にも耐えうるピアノにすることは、容易なこと ではありませんが、大作曲家に数々のインスピレーションを与えることになったピア ノ、そして当時のピアノとそのヨーロッパ音楽の歴史、社会等に思いをめぐらせれ ば、それは実に苦しくもあり、また新しい私のライフワークでもあります。

 また、修復においていかに忠実なるオリジナルの状態を目指し努力したといえど も、本当の当時の音を聞くことは、今日では有り得ないので、実際はどうであったか は、誰にも言うことは不可能です。しかし、多くのものの中で、信頼でき得る多くの 経験によって、その近い答えは可能だと思います。そのためにも、出来るだけ多くの オリジナル楽器を調査するよう、これからも努力したいと思います。

(やまもとのぶお フォルテピアノ修復家)